安井博志日本代表ヘッドコーチに聞く パリ2024レビュー
パリ2024オリンピックで激闘が繰り広げられたスポーツクライミング。大会閉幕後、日本代表を率いた安井博志ヘッドコーチに熱戦を振り返ってもらいました。
プロフィール
日本代表ヘッドコーチ兼JMSCA強化委員長
1974年12月29日生まれ、鳥取県出身。
元高校教諭で2002年の山岳部創設に伴い指導者として活動開始。08年よりJMSCAに所属し、09年からユース日本代表コーチ、16年からボルダー日本代表ヘッドコーチ、17年から日本代表全体のヘッドコーチとJMSCA強化委員長を務める。
――パリオリンピックお疲れさまでした。全体の総括をお願いいたします。
「まずは東京オリンピック後の3年間の日本代表チームに関わった選手・関係者の皆さんへ感謝したいと思います。安楽宙斗が金に届かず2位、森秋彩が表彰台に届かず4位、野中生萌、楢﨑智亜が決勝に届かず9位、10位と、全選手がその次まであとわずかという結果でした。金メダルを含む複数のメダル獲得という目標を達成できず、選手や我われ関係者、そして観戦された皆さんがそれぞれ悔しい思いをしたオリンピックでした。日本人選手たちのパフォーマンスは決して悪くはありませんでした。ほんの少し何かが足りない、何かが噛み合わない。オリンピックはやはり特別で、実力だけではなく時の運や縁も必要。それらを含めて最高峰の大会だということをあらためて感じました。サポートいただいたすべての皆様へあらためて感謝いたします。これからは次のロサンゼルス大会(2028年開催)へどう繋げていくのかを考えていかなければなりません」
――東京オリンピックは無観客でした。歓声の響いたパリの舞台をどう感じましたか?
「観客は素晴らしかったですね。満員でしたし、声援もバラバラと起こるのではなくて、選手の頑張りどころで一気に沸き起こるんです。クライミングを知っている人が多かったなと思います。とても楽しい雰囲気で、選手にとっても最高の舞台だったと思います」
――日本男子の結果を振り返ると?
「安楽は決勝のボルダーで決め切れなかったことが尾を引きました。第1、第2課題を容易に落としましたが、第3、第4課題はゴール落ち。特に3課題目はものすごく惜しくて、トップホールドを掴めていれば(金メダルの)トビー(・ロバーツ)を15点上回る計算でした。トビーがリードでの素晴らしいパフォーマンスを終えた後、最後に安楽が登場すると会場の雰囲気がガラっと変わったことを覚えています」
――普段の大会とは違う緊張感がありましたか?
「安楽が登場したところだけ雰囲気が変わりましたね。BGMの曲調も急にアップテンポになり、応援の声も一段と大きくなりました。リズムが変わったので『(安楽が)焦るかもしれない』と不安が頭をよぎりました。もともとレストできるようなルートではなかったとはいえ、安楽はレストせずにずっと登っていて、少し嫌だなと思いながら見ていました。動きも硬かったように思います。メダルを左右する一手では少し的を外したので冷や汗をかきましたが、安楽は見事にそこを捉え切りました。終始見応えのある登りでよく粘れたと思います」
――一方の楢﨑選手は10位で準決勝敗退でした。
「リードで6人の選手が落ちたパートに楢﨑もハマってしまいました。彼はどちらかというと足を踏み込んで、蹴り足でジャンプするような動きが多いのですが、あそこは完全に重心移動で立ちこむパート。そこを蹴り足にしてしまったためにスリップしたのだと思います。ゆっくりと立ちこんで右足を効かせながら進めばよかったのですが、反動をつけて上がってしまった。本人も消化しづらいような高度で終わり、非常に残念でした」
――東京オリンピックで4位に終わった雪辱を果たすことは叶いませんでした。
「リードは一瞬の判断ミスで終わってしまう怖い競技だとあらためて思い知らされました。他の選手もあそこで落ちていたので、実際に登ってからの見え方はまた違ったのでしょう。同じパートで右足から左足に切り替えて、右のトウフックをかけて突破した安楽は冷静だったと思います」
――日本女子は森選手が決勝に進出して4位でした。
「ボルダー課題がどんどん男子寄りになってきているので、ボルダーで加点しづらくなった森は常にプレッシャーのかかる戦いを強いられたと思います。彼女は基本的にリードでの巻き返し型ですから。厳しい状況の中で素晴らしい4位でした。決勝のボルダー1課題目はいろいろと議論がありますけれど、本人は頑張れば届く距離だと言っています。入り込む角度を変えれば可能性はあったかもしれないし、脚力が足りなかったかもしれない。競技が発展する上で、注目を集めることで第三者的な意見が入り、より良い大会にするための協議の場が生まれることは良いことです。これを機にロサンゼルス大会がもっと面白くなるといいですね」
――議論が起こったことをポジティブに捉えているのですね。
「これまで興味がなかったような方たちからのコメントもありますので、いろんな人に見てもらえたのだなと。東京大会は全体的に完登数が少なかったこともあってか、今大会と比べて反響は小さかったように思います。今大会は非常に盛り上がりましたし、そのような意見が上がってきたことをポジティブに受け止めています。選手や我われ関係者は登れなかった事実を冷静に受け止めて、どう対処していくか試行錯誤するだけですので、誰かを責めることはありません。森は得意であるスラブ的な動きの2課題目を登れなかったことのほうがショックだったでしょう。あそこでの完登が絶対に必要だとわかっていたはずです。あと30秒の時間があれば最後まで行けたと思うので、惜しかったですね」
――その後は第3課題の完登で挽回しました。
「あの完登には感動しました。一気にメダル獲得のチャンスが広がりました。言わずもがなリードも見事な登り。完登には届きませんでしたが、会場でスタンディングオベーションがあったように、世界中の誰が見ても素晴らしい登りだったと思います」
――野中選手は決勝進出ライン下の9位でした。
「ボルダーの4課題目でポイントを取れなかったことが響いてしまいました。足をアウトエッジにかければクロスステップが踏みやすくなり突破できたと思います。癖のあるフットワークを制限時間内に思い浮かべて実行するのは難しいです。クライミングはやはり奥が深いと感じたシーンでした」
――オリンピック期間中の4人の振る舞いはどう見ていましたか? 安楽選手、森選手は初出場、楢﨑選手、野中選手は2度目の出場でした。
「雰囲気に呑まれている様子はまったくなくて、落ち着いて過ごしていたと思います。準決勝のボルダーを2位で終えた後に楢﨑も話していました。開催国とそうじゃないのとでは全然違う、集中しやすいと。選手村は女子は森と野中だけの部屋で、男子は安楽と楢﨑がツイン、隣室に近代五種で銀メダルを取った佐藤大宗選手がいました。同部屋でしたが仲良く交流していました。普段の国際大会ではシングルの部屋を使うことが多いのですが、選手は臨機応変に対応してくれました」
――日本代表チームとして本番直前はどのように行動しましたか?
「時差を考慮したり、事前キャンプ地を準備したりしていましたが、海外慣れしている選手たちは『時差ボケは調整できるから大丈夫、ギリギリまで国内で調整したい』という意向でした。そうしたことで海外生活による疲労の蓄積を避け、日本で普段のトレーニングや食事が取れたためリラックスして現地入りできたと思います。選手たちはたくましかったです」
――パリに向けた強化の過程で良かった点は?
「いつも言っているのですが、選手が伸びるのは大会という真剣勝負の場だと思っています。そのため我われはたくさんの大会にたくさんの選手を送り出してきました。結果的に代表チームの選手層はさらに厚くなりましたし、その中で選ばれた4人の選手たちは間違いなく強かったと言えます」
――改善したい点はありますか?
「過程の話ではありませんが、目標としていた結果を残せなかったことに尽きます。オリンピックの戦いは、他の大会よりもワンランクレベルが違います。ワールドカップでは予選や準決勝でちょっとしたミスをしても何となく通過できて、決勝は他の選手のミスに助けられて勝ててしまうことがあります。しかしオリンピックは自分がミスをせずに完璧なパフォーマンスをした上での勝負。スピードも、ボルダー&リードも、すべてのラウンドがハイレベルでした。1つのミスが命取りになりますから、細かい部分まで突き詰めていかないといけません。細かく行き過ぎればゆとりがなくなるので、バランスを取る意識も持ちながら。もしもロサンゼルス大会が3種目それぞれで実施されることになれば、各種目にスペシャリストが集まり、より熾烈な戦いとなるでしょう。ミスが許されない厳しい世界で戦える力をつけることが必要です」
――悲願の金メダルへ、どのように取り組んでいきますか?
「小さなミスをないがしろにしないこと、ちょっとした技術の違いをきちんと理解するのに妥協しないこと。伝えるべきことをコーチ陣がきちんと伝えていくことも大切です。ミスが許されない厳しい世界で戦えることを普段からイメージして、再び次のオリンピックを目指していきたいと思います。また、国内のトレーニング拠点の整備も念頭に置いています。今は都内にある葛飾区東金町運動場スポーツクライミングセンターを活用させてもらっていますが、一般の方も使用する施設のため、代表選手に特化したトレーニング環境を整えることが簡単ではありません。より充実した環境の整備も必要だと思っています」
――2025年からユースのカテゴリーが変更されることも強化に影響しますか?
「影響しますね。国際大会を経験できる年齢が引き上げられますので、より若い年代から海外合宿などを行い、他国との交流を深めることを検討したいと思います」
――IFSC(国際スポーツクライミング連盟)はロサンゼルス大会でボルダー、リード、スピードを分けて実施することを目指していますよね。
「マルコ会長は3種目をそれぞれ独立した種目にして、メダルの数を増やしたいと常に言っています」
――オリンピックは参加選手総数などに上限があるため、種目を増やすことは簡単ではないと思います。安井さんはどう予想しますか?
「3種目それぞれでメダルが用意されることは可能だと思っています。2つポイントがあって、1つはスポーツクライミングが28種目の正式種目に入ったこと。発言権が高まります。もう1つはIOCが高い評価をしてくれていること。IOCのバッハ会長はオリンピック予選シリーズやオリンピック本番でもスポーツクライミングの会場に足を運び、この競技に対して非常に前向きな発言をしていると聞いています。ロサンゼルス大会の追加競技には野球・ソフトボール、クリケット、ラクロス、フラッグフットボールなど、団体競技が多いのは懸念点です。参加人数が多くなってしまうと、新種目の追加が難しくなります。いずれにせよ、来年までにはどうなるかが決まるはずなので、注視していきたいです」
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